東海道五十三次“濱松・冬枯ノ図”のほうき再現プロジェクト東海道五十三次“濱松・冬枯ノ図”のほうき再現プロジェクト

ほうきの歴史 明治から現代

[ 参考資料 ]  2015/09/21

ほうきの歴史「古代から江戸時代」の続きです。こちらをご覧いただいてから本編をお読み頂くと、より一層お楽しみいただけます。

 

明治維新を迎え、明治40年前後に初めて純外国産の繊維を利用した赤シダほうきが開発されます。赤シダほうきの繊維は、パルミラ(インド・スリランカが主な生産地)の木の葉柄部分から繊維を取り出し作られています(主には土間や庭先を掃いていたようです)。赤シダほうきが作られた背景には、棕櫚ほうきの需要に供給が追い付かず、その新たな供給先を海外に求めたことにありますが、この赤シダほうきの登場が棕櫚の衰退につながってしまいます。
 

赤シダほうき

赤シダほうき

 

戦後の昭和30年代以降はプラスティックが急速に広がり、プラスティックの穂を使った化繊ほうきが作られ、昭和48年(1973年)には、インドネシアを原産とする黒シダほうき(ベランダや玄関を掃くのによく使われています)が開発されるなど、次々に新たな繊維を用いたほうきが作られるようになりました。
 

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プラスティックの穂を使った化繊ほうき

黒シダホーキインドネシアを原産とする黒シダほうき

 

ちょうどその頃、日本の流通が大きく変わり、全国展開する小売業が登場し、それまで各地の特色があったほうきの多くが淘汰され、全国展開に乗ったほうきが市場を席巻しました。これに伴い、販売量も格段に上がり、生産も海外へ移行され、日本でほうきを生産している方はごくわずかとなっているのが現状です。

 

また、住宅構造の変化がほうきの歴史に与えた影響も見逃せません。板間から畳に移行する段階では座敷ほうきが生まれ、土間から玄関に代わる段階で黒シダほうきが生まれるなど、それぞれの環境に合うほうきが求められてきています。そして、掃除機の登場、これによりお掃除そのものが大きく変わり、お掃除の「主」であったほうきが、「従」に代わり現在に至っています(掃除機でしない箇所または場面のお掃除にほうきが使われています)。

 

最後に・・

 

記録にはありませんが、おそらく平安時代よりも前から、生活に密着したほうきのようなものは存在したのではないかと思われます。建物を建て、住空間を作り上げた瞬間から、程度の差こそあれ、キレイにしたいという気持ちが芽生えるのではないでしょうか?

その証拠に、世界中の住環境で「掃く」という行為がなされ、現地特有のほうきが使われています。

そこに精神的な側面が加わった点が日本と諸外国の大きな違いで、そのことが日本のほうきの多様化につながってきているように思えます。

1000年以上の時間を積み重ねることで、「掃く」という行為自体に普遍的な価値が育まれていっているように思えて仕方がありません。

 

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