[ ブログ ] 2015/12/14
歌川広重が東海道五十三次を描いたのは1833年、江戸時代の天保4年と言われています。わずか30数年後には明治維新を迎えることになるわけですが、江戸時代の、しかもここ『浜松のほうきを再現する』改め、『広重が浜松を描いた時に見たほうきを再現する』・・聞いただけでもなかなか面白そうです。
さて、今回もKが筆を取り、元気よく進めさせていただきます!
いきなりですが時は遡り、10月。まずは「出世大名 家康くん」のアポイント取りから始めます。
K | 『もしもし私、アズマ工業のKと申します。弊社で、東海道五十三次”冬枯ノ図”のほうき再現プロジェクトというものを進めておりまして・・・・・、つまり、ほうきができた暁には「ゆるキャラグランプリ」で家康くんが優勝できますように、という願いを込めて献上させていただきたいのですが、家康くんのご予定はいかがでしょうか?』 |
浜松市役所 担当者様 |
「家康くんのスケジュールを確認します、少々お待ちください・・・。はい、11月10日家康くん空いております。実は、アズマ工業さんのことは前々から興味を持っておりました。このプロジェクトも気になっていたんですよ」 |
K | 「ほ、本当ですか!? ありがとうございます! 市長が同席・・・、なんてことないですよね? アハハ・・・」 |
浜松市役所 担当者様 |
「市長ですか、少々お待ち下さい・・・。この日14:15~30分の間でしたら同席可能です」 |
K | 「本当ですか? あ、ありがとうございます!」 |
なんと、家康くんだけでなく、市長である鈴木康友様までご同席いただけることに!ますます気合が入ってきました!
そして、お待ちかね!家康くんに献上するカバーほうき「吾妻箒」もできあがりました。
浜松産にこだわり、浜松で織った綿布を使っています
そして、
ついに、この日がやってきました。11月10日、いよいよ浜松市マスコットキャラクター家康くんへほうきを献上します。
色紙に家康くんへの応援メッセージを書きこみ、ダンボールには「献上」の文字。準備は万端です。
この日、JAとぴあ浜松 青壮年部様とアズマ工業、約30名以上の方が応援に来てくださいました。
時間になり、いよいよ市長室へ。まるでスポーツ選手かのように、応援に駆け付けた皆さんが声をかけてくれます。
皆さん | 「いってらっしゃい!頑張れ?!」 |
皆、緊張した面持ちで市長室へ。
アズマ
|
「約半世紀ぶりに復活した浜松のほうきです。この出世箒で、ゆるキャラグランプリ2015、頑張って下さい」 |
家康くんも喜んでくれました!
家康くんへの献上を無事に終え、このプロジェクトはここで一旦終了となりますが、アズマ工業はこれからも、浜松での「ほうき草栽培復活」に取り組み、皆さんのお宅にお届けできるようになるまで、活動を続けてまいります。
P.S. 11月21、22、23日で行われた「ゆるキャラグランプリ2015」にて、見事!家康くんはグランプリに輝きました。家康くん、おめでとうございます!
2016年、アズマ工業は120周年を迎えます。
その記念事業として、2015年、アズマ工業の物づくりの原点である座敷箒作りをここ浜松で行いました。座敷箒に欠かせないほうき草を一から栽培すべく始動しましたが、タイで座敷箒を作るようになって久しく、一度途絶えたほうき草の栽培は、種や土地の入手から困難を極め、最初から相当な労力を費やしました。また、タイと浜松では環境が異なり、ある畑ではほうき草の一部が倒れ、ある山間(やまあい)の畑は収穫時に猪に荒らされ、ある畑は成長しきれず全滅してしまうという有様で、問題が次から次へと発生しましたが、その過程で出会った方々のおかげで、無事に成し遂げることができました。
一緒にほうき草作りを行っていただいたJAとぴあ浜松様及び青年部様に感謝申し上げます。
また、ほうき草作りと併せて、日本で箒作りを続けている方に取材を行い、箒の歴史、伝統、そして箒作りに対する想いをお聞かせいただきました。
そこで知り合った方々へのインタビューは、特集号として公開中。
人との縁がなければ何も生まれない。
120年を迎える前に、この当たり前ともいえることに改めて気付いたことは、アズマ工業にとって掛け替えのない財産となりました。この活動で知り合ったすべての方々に心から感謝しております。また、この特集をお読みいただいた皆様にも感謝申し上げ、筆をおきたいと思います。
ありがとうございました。